FOCUS
年頭にあたって

理事長 金子 由美子
 
 新しい年が明けまして、皆さんとこのように初顔合わせができますこと、世界の状況を考えますとあたり前ではなく、ほんとうにありがたく、嬉しく思います。
 今年のお正月はご来光を拝むことができ、穏やかな年明けを迎えることができました。
 東日本大震災などの自然の厳しさというものを日本は経験しているわけですけれども、自然の恵み、恩恵というものも改めて感じました。
 その天気とは裏腹な、社会、世界の情勢を、どのような言葉で表現したらよいでしょうか。混迷を極めてというか、激動というか、とにかく厳しさが増し、予測不能な社会を私たちは生きているのだということを、改めて思ったこの2017年の幕明けでした。
 目まぐるしく変化するこの社会に、今日という仕事始めの日を迎えるにあたり、私が年頭にあたって皆さまに何を話したらよいのかと、とても悩みました。でも皆さんにお話しする以前に、私は今年をどう生きなければならないのか、そして私が理事長として、いわゆる世間の理事長という意味ではなく、センターの理事長は“人間としてどうあるか”ということですから、今年私がどうあったらよいかは、どちらにしても考えなければいけない、ということに行き着きました。
 そして年明けに私はいったいどのような思いになっていったのかと、今日を迎えるにあたりふり返りました。
 私は年明け2日に実家に行きました。母を亡くして初めてのお正月ということになりますが、実家の姉が暮れに「あなたいつ来るの?」といつものように電話をくれました。親を亡くすと兄弟姉妹間があまり良くなくなる、そして実家に行きづらくなるということを耳にしますが、そういうなかで、姉がいつものように電話をくれたことを、とても嬉しく思いました。
 そして今、皆さんが新年の思いを口々におっしゃっていたように、この学びを通して家族の繋がりを感じられることの大きさを改めて思いました。そして主人と息子と3人で、姉夫婦と共に実家近くのお墓にお参りをさせていただけたことがとてもありがたかったです。
 また、何人かの方がお子さんの成人式の話を感謝でされていましたけれども、我が家でも息子がおかげさまで昨日、成人式を迎えました。実はお正月中、あることで父親である主人と息子の間で厳しいやりとりがありました。二十歳の息子は子どもから大人になっていく意識にはなってきていますが、思っていることとやっていることにギャップがあり、そのギャップが親には見えてしまいます。
 息子も言われていることを受け止めようとしていることは感じました。しかし、親としては言うべきことは言っておかなければならないし、やはり足りないと思う思いが上回ってしまう。しかし、そこに受け止めさせ得ないものがある。それが親の課題なのだということを、私たち夫婦は思わせていただきました。
 そして親として、私たちが成人を迎えた息子にとってどうあったらよいのかを考えましたし、二十歳の息子を持つ親として、私たちがどうあったらよいかということを話し合うチャンスになりました。
 父と子だから、遠慮なく思いを出し合えること自体ありがたいことです。そして、そこから私たちが若い頃どうだったかをふり返りました。どんなに私が未熟だったか、どんなに見守られてきたか、そういったことを確認することができ、感謝になりました。
 そして、年末から年始にかけて、思い込みや勘違い、誤解を課題とする事柄に触れ、その中で自分の側の見方で見て、私の中にさまざまな感情が出てきたわけですが、その自分を道理に基づいてどう陶冶していったらよいか、自分をどう修めていったらよいかと改めて考えさせられ、悩みながら過ごしたお正月でもありました。
 悩むなかで思い出されたのが、学生時代にある書物から知った、ゲーテ『ファウスト』の中の一節でした。その中に「人間は努力している間は迷うに決まったものだ」という言葉がありました。病気をして、迷い悩んでばかりいた頃に、何度もこの言葉を繰り返し読んだことが思い出されました。結果や成果を求められる現代には、迷うことや悩むことは“無駄な時間”と価値づけられているように思っていました。しかし、そういったなかで、迷いや悩みというものはとても大事なことなのだ、とこの言葉が教えてくれているようで、とても安堵した若い頃の記憶が蘇りました。
 そして悩んだ挙句に創設者の著書に手が伸びました。創設者の『木もれ陽のなかに』のページをめくったときに、最初に目に留まったのが、1990年、まだその時代、東西ドイツが統一した頃、つまり対立から調和へ、そして分裂から統合へという背景のなかで、創設者が感じたことをお話しになった項目のところでした。今とは逆の方向に向かっていた時代におっしゃったことが今にとっても、とても大事なことだと思いました。その一節に「未来はたえず創造していかなければならないわけで、私たちはいつもセンターの学習でそれをめざしてますね。現実社会から学んだものを通して意識を変革し、家庭という足もとから、社会、世界へと還元していくという理想的な未来創造は、やめてはいけないことでしょう」というものでした。
 続けて「これは一人ではできないけれど、一人からでもやらなければならないと思います。その一人の質の濃度がより多くの人々を動かし、そのネットワークが強力なパワーを作っていくことでしょう。それにつけ人間のほんとうの豊かさとは何かを考えたいと思います。自分のためにだけ使う貯えはほんとうの豊かさではないと思います」とありました。ほんとうに創設者のお心が沁みました。
 創設者は「現実社会から学んだものを通して意識を変革し、家庭という足もとから」と書いておられますけれども、ではこの現実社会から私たちは何を学ぶのか、ということを考えてみました。そうすると、何を学ぶかの前に、私がこの社会をどう見ているのか、ということを自分に問いました。
 一つは“偏っている”ということに私は危惧を持っています。皆さんの発言のなかで何人かの方もおっしゃっていましたが、2017年、アメリカではドナルド・トランプ氏が1月20日付けで大統領に就任します。トランプ氏が大統領になって、いったいどのような世界になるのかということを、皆さん危惧しているところがあるかと思います。
 トランプ氏は反既成政治を掲げ、自国第一主義を標榜しているとニュースは報じています。ある意味、自国を考えることは大事なことではあるわけですが、トランプ氏が言う自国主義は受け入れ難いものがあります。反既成政治という“反”になっていくものや、非常に偏った意見、考え方に見えることに、私は懸念を持ちます。
 そしてまた今年、ヨーロッパでは「選挙イヤー」と言われ、3月にはオランダ総選挙があり、極右が台頭するのではないかと言われています。そして4月から5月にはフランス大統領選があり、これも右傾化しているとの見方、そして秋にはドイツで総選挙があります。2017年は右傾化、極右に偏っていくのではないかとほんとうに心配です。
 その偏りという点と、もう一つは“過激”だということが非常に懸念材料です。これもトランプ氏が過激発言をしているということで、今盛んに、ツイッターでさまざまなことをつぶやき、それが拡散されている。
 私も含めてネット社会に明るくない世代の方もたくさんいますが、知らない間に今、ネット社会がどういうことになっているのかも、私たちは関心を持たなければならないと思うのです。ツイッターやラインなどは短文で会話がされて、出てきた言葉に反応していく社会が形成されているように私には見えます。象徴的にトランプ氏や、ドゥテルテ大統領などのトップの方たちもそうですし、日本でもインパクトのある発言というものが関心を引いています。
 そして三つ目に、経済中心の世の中だということをとても思うのです。政治は素人だと言われている経済人のトランプ氏が就任することに象徴されるように、やはり今の時代がここまでになってしまったことのなかに、一人ひとりの経済中心の価値観というものがすごく大きな要因になっていると思うわけです。
 そういったことを私は今の現代社会に問題点として思っているな、ということに至っていきました。
 社会が即効的結果を求めているのかとも思いますし、刺激的なものを求めているとも思います。そこが問題だと思いました。
 偏りの反対は、単純に偏らないということですよね。偏らないとはどういうことかというと「物事に対して柔軟な思考ができる様」「バランス感覚に優れた」「公平な」ということを意味します。
 そして過激の反対語は穏健ということですけれど、過激という言葉は激しく、度が過ぎている様です。そしてその反対の穏やかは「落ち着いている様子」です。また、私は緩やかという意味合いもあるのかと思います。「ゆとりがある様子」「厳しくない様子」を言います。
 これは、考えてみますと本来の自然界を表している意味合いを持っているように私は思えます。つまり、いつも申し上げるように、自然界というものは朝から昼、昼から夜。そして人間の成長も胎児から乳児期、幼児期、そして児童期、青年期、壮年期、老年期、死期というように徐々に変化していく。「昨日のあなたから急にしわが増えてますね」ということはないでしょう。知らない間に薄っすら薄っすら、「あれ、気がついてみたらここにも…」というように、劇的に良い方へ変わるということもなければ、悪い方に変わるということもあまりないですよね。そういう自然の成り立ちを表すような言葉だと思いました。
 また『木もれ陽のなかに』を読んでいますと、創設者が儒教のことをお話しくださっているところがあります。「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」ということ。これを後半部分から言いますと、「修身、斉家、治国、平天下」という言葉は、天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭を斉え、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきだという意味だそうです。そして「格物、致知、誠意、正心」は、ものの道理を極め、自分の知識を貯え、即ち自分の行いを正しくするには誠意を尽くし、心を正しく持つ、という意味です。このように見ていくと、私たちは野村生涯教育の学びのなかで、ものの道理を学び、まず自分をつくることをしていく。そして家庭に還元し、自分に止まらない努力をし、国、世界への意識を広げることを願える人間をめざして学んでいます。
 今日の皆さんの発言を聞かせていただいて、自分の幸せというものを感じられるようになってきたのは、自分の偏った見方というものを、ご主人との関係のなかで、あるいはお仲間のなかで調整し、お互いに理解し合えるようになったからだと思います。そうしたら、今度は社会のこと、やはり自分が幸せ感を持てたら人さまの痛みが痛みとして受け止められるようになったとおっしゃっていましたよね。
 創設者は、どこを向いているかわからないような私たちに、倦まず弛まず説いてくださるなかで、人間なら誰でも持っている、そうした私たちの意識を掘り起こしてくださってきたのだと改めて思います。
 また「昔は専制政治でしたから、そのように政権を執る人を正せばよいわけですが、民主主義の今の時代は一人ひとりが正さなければならないわけです」そして「平和な世界を成就するためには、一人ひとりが心を正し、身を修め、家を斉えて、国の動向にも、地球そのものの存続にも責任をとるという、そうした自覚が今を生きる人間にはぜったいに必要」だと続けています。創設者にしてはめずらしく「ぜったいに必要」だと強くおっしゃられているのです。
 現代は政治を預かる側も、一般の人も、自分の身を修めることを考えなくなっています。社会をどうするこうする、という外向きの対策をとろうとしていますが、そこに、まず自分の身を修めようとする。そのことを通して社会に、世界に還元していくという、その一歩目というものがどんなに大事かと思うのです。こうしたことをさせていただいているという自覚を、ほんとうに強く私たちは持ち、この輪をもっと広げ共有する努力をしていくことが必要なのだと改めて思いました。
 私たちは人を見るとき、表面に出てくる言葉だけで判断しがちです。しかし、どんな考えを持っていても、そこにその考えに至る根拠があるはずです。なかなかできませんが、そこをまず知ろうとする。そこに他者を理解する、受容する意識が生まれるのではないかと思います。
 偏りは排除を生みます。そして過激は、ますます過激を生みます。そうすると自然界のゆっくりとした運行からさらに乖離していってしまいます。そして経済は必要ですが、経済だけでは人間は幸せになれません。
 自然界は関係するから変化し、本来大調和していますが、もし現代の社会、世界がますます不調和になっているのならば、私たちが私たちの在り方を道理に基づいて整えることが、今後の世界の方向をつくっていくことになるのだと思います。
 一人ひとりの人間の意識が集まり社会ができているわけです。だから社会から学び、自分を正していく。そうすれば、社会に、世界に影響を及ぼし、今後の世界をつくっていくことができるはずです。そしてこのことを共有していかれるよう、声を出していく。その輪を広げていかれたら、世の中が少しずつでも良くなっていくのではないかと思うのです。
 過激に走る勢力というものがつぎつぎと台頭するなかで、ほんとうに地道な、穏やかな、そして薄紙一枚のような、その変化というものに感謝ができる人間の層が広がれば、その過激なところに反で出たり、叩こうとするのではなく、大事な価値を伝え、身に行う努力を通して、そこに影響力を及ぼしていかれるのではないか。しかしそれにしてはやはり私たちは、社会に対しての目が弱いとつくづく今思います。
 この過激ということは人の気を惹きますが、地道な作業は惹きません。しかし、人の目を惹く、惹かないということ以上に、やはりその価値というもの、私たちが道理に基づいて、地道に自分自身を整えていく価値というものを、しっかり芯にしていくことを、2017年の私たちの課題にしたいと思わせていただきました。そうした地道な一つひとつが、どれだけ貴重で、どれだけ感謝するべきことなのかということを、ほんとうに皆さんと共有し、今年のスタートとしたいと思います。

(1月10日の新年の顔合わせから)
 
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