FOCUS
年頭にあたって

理事長 金子 由美子
 明けましておめでとうございます。
 2014年のお正月は、暖かい幕開けだったと思いますが、それ以降はちょっと寒くなっていますね。そうしたなかで年末からの国の動きに対して、そしてこの一年に対して非常に危惧を感じます。一昨年の12月に政権交代があり、その一年後にああした動きがあるとは予想だにしなかっただけに、この一年、私たちがどうこの現実と向き合っていくのか、とても緊張を感じながら今日まで過ごしてきた気がいたします。
 12月に特定秘密保護法が可決成立し、武器輸出三原則についても、南スーダンの国連平和維持活動に対して日本が銃弾一万発を提供したことも、あれよあれよという間にそうした決定が下され、また沖縄の辺野古の埋め立て容認を政府が迫ったということ…。さらに年末になって安倍首相の靖国参拝があり、アジア諸国のみならずアメリカからも厳しい反応があった。また、新年6日の政府見解として、憲法改正に本腰を入れていくという向きの発言。その他、原発の汚染水、再稼働の問題、TPP問題、4月には消費税引き上げも待っている…。ほんとうにさまざまな問題が山積している日本の現状です。
 そうしたなかで、今年という年が、日本の国の行方を左右する大きな年になるのではないか、という声を多く聞きます。とくに憲法改正の問題は、日本の歴史、国の形を大きく変えていきかねない重大問題です。
 現政権は積極的平和主義ということを謳っています。積極的な世界平和への貢献、その言葉だけを聞けば、良いことを言っているように聞こえるかもしれません。そして将来のあるべき姿を見定めた真の改革が必要だと謳っているわけですが、それがどういう方向での改革なのか? その内容を見ていくと、平和のための戦争へ道を開くのではないか、という不安を掻き立てられてしまいます。
 たしかに時代は大きく変わっています。20世紀から21世紀にかけての変化はまさに激変であり、意識の転換を迫られているのは間違いない、と私も思います。
 今年は第二次世界大戦終結から69年目を迎えます。そして戦後の米ソの冷戦構造を経て、それが崩壊したのが1989年です。それで平和になるのかと思ったら、その後は内戦や紛争が多く起こり、21世紀に入ると、今度はテロとの戦いということが言われていったわけです。
 歴史を紐解くと、科学文明の進歩との関係の中で新たなテロは生み出されている。2001年の同時多発テロは大きな衝撃でしたが、ああしたことは科学の発達抜きではあり得ないことですし、また過去の米ソの対立構造から生み出されたものだとも言えるでしょう。つまり二つの超大国が、さまざまな国の内戦に軍事介入していった果てに生み出されていった側面もある、とも言えます。
 たとえば、米国はイラクが大量破壊兵器を保持しているとして戦争に入っていったわけでしょう。しかし、結果的には大量破壊兵器は見つからなかった。戦いを始める前提には、平和や繁栄のためという大義名分を標榜していたはずです。大量破壊兵器さえ奪えば平和になると、少なくとも不幸になろうと思って戦いを始めたわけではなかったはずです。その時は平和を思ってやったことが、結果として大量破壊兵器は見つからず、悲惨な結果をもたらした。そうしたことが実はテロを生み出していっているのではないかと思います。そうした過去の出来事から、私たちは学ばなければならないと思います。
 もし日本が集団的自衛権の行使へ、国の形を変えて進もうとしたならば、平和への貢献と謳いながら戦争に加担していったならば、日本も間違いなくテロの標的になっていくはずです。一つの戦いに加担していくことは、やはりそこに恨みや反を生むわけですから。
 今日まで日本が平和でこられたのは、武器を捨て、不戦の誓いをした、そのことに依るものが大きいはずです。
 国レベルには、もちろん私たち民間には解らない世界があることを謙虚に見ていかなければいけないと思います。しかしやはり庶民として不安に思うことは、とても人ごとにはできないのです。自分の国のことですから、あるいは自国を含んだ世界の問題ですから、やはり関心を持っていかなければならない。戦いのある国や地域では、テロをはじめさまざまな問題がある。しかし日本にはそれがないのはなぜなのか。それを真剣に考えていかなければならない。
 そうしたことを思ったとき、創設者が教えてくださったように、日本は地理的条件のなかで、島国という条件のなかで、独自の歴史を持ってきた。それに比して大陸の国々は、道一本で国境を接し、国同士の戦いを強いられてきた、相克、葛藤を続けてきた歴史です。そこに大きな違いがあるわけです。そうしたことを自覚したうえで、日本に何ができるのか、日本人が世界への貢献として何ができるのかを、冷静に見ていかなければならないのではないかと思います。
 たしかにグローバル化された21世紀に、先ほど申し上げたように、これまでのような意識ではいけないことを思います。足もとの残虐な事件から異常気象に至るまで、あらゆる面で行き詰まりを呈する社会、世界であるわけです。そうしたことに、私たちは目を見開いていかなければならない。
 戦争状態でないというだけでは、平和とは言えないのです。そうした時代に、私たちはどうあったらよいのか。
 私たちはまぎれもなく宇宙時代を生きています。しかし世界の国々の、とくに今アジアに見られる実態は、互いが偏狭なナショナリズムに陥ってはいないか。
 ここに、今の時代を引っ張る40代、50代の人たち、つまり私の世代ですが、どんな教育を受けてきたのかを改めて見つめていかなければならないと思います。学校教育中心のなかで、偏差値教育を受け、勉強さえできればいい、能力がありさえすればいい、能力がなければダメという価値観のなかで生き、育ってきたように思います。そして、その能力が経済力に繋がることを求められてきた。そうした価値観が、経済力を生み出さない世代を切り捨てていく社会を生み出している。子どもを生み育てる家庭に価値が見いだせなくなり、経済を生み出さない高齢者が端に追いやられる社会。自分もいずれ必ず高齢者になるという、そうした予測さえできなくなっている。
 現代の科学文明は、17世紀のデカルトの心身二元論から発達したと言われています。これは心と体を切り離し、物の世界を分析、解明し、開発し、そして私たちは便利で豊かな生活を享受できるようになった。私たちはその恩恵を受けて生きてきました。
 しかし、有限である自然界というものに意識を持たず、支配し尽くして行き詰まっている姿に対し、それとは違う思想が今後を救っていくはずだと、創設者は50年以上も前からそれを訴え続けてきたわけです。もともとの日本の精神、それが平和を堅持してきたものだと教えていただいてきました。
 昨年、伊勢神宮と出雲大社が、初めて期を一にして式年遷宮を迎えました。この二つの神社がどういったものかというと、記紀の時代、つまり古事記、日本書紀の時代、神道は、天照大神に代表される現権力の祖先神、そして天照の孫ニニギノミコトに国を譲らざるを得なかった大国主命に代表される、現権力に滅ぼされた前代の権力者、この二種の神を祀っていたのだそうです。
 祖先神を祀るのが伊勢神宮。そして滅ぼされた権力者を祀るのが出雲大社。自らの祖先神を祀ると同時に、自らの祖先神が滅ぼした前代の権力者を祀ることを重視した。だから出雲大社は伊勢神宮より壮大に造られているのだそうです。現権力に滅ぼされた祀り手のない前権力者は、現権力に対して強い怨念を持っているので手厚く祀らなければ祟られるという考えに因っており、祀ることによって怨念を捨て、かえって守り神になると考えられていたのだそうです。こうした考え方が武士道の精神に繋がると思ったのは、日本の武道は相手を慮ってガッツポーズなどしてはいけないそうなのです。そうした精神が、もともとの日本にはあるということです。
 明治以降、西洋に倣ってきた日本が、現代においてしなければならないことは、西洋思想から恩恵を受けてきたからこそ、日本にもともとある精神を掘り起こし、価値あるものとして見直していくこと、それこそ世界の平和への貢献になるのだと私たちはずっと教えてきていただいたと思います。
 冷戦構造の崩壊を経て、戦いが終焉するどころかテロとの戦いを生み出していったのは、勝ち負けを二極に判別するなかに次の怨念を生みだした。だから、この戦いには終焉がないのです。世界中の人間がその思考でいる限り、平和は生まれない。足もとの残虐な事件から気象状況に至るまで、人間の生存が危ぶまれている時代にあって積極的に平和を創り出すためには、勝ち負けの論理から脱却し、他者の立場に立って物事を考えられる教育をこそ求めなければと思います。
 そのためには日本のもともとの精神に立った教育を取り戻していくことではないか、それが野村生涯教育が説いていることではないか、と改めて思います。
 自分も、国も、世界も、過去を見てみると自分の責任を取らねばならない事象に必ず突き当たっていきます。60年代から高度経済成長してきた日本は今、林立するビルや高速道路、鉄道、そうしたものの老朽化の問題を眼前に突きつけられています。造りっぱなし、やりっぱなしは許されないのです。まさに60年代に稼働を始めた原子力発電所も、長く安全神話の中にありましたが、その原発の事故が未だ処理できない状況にあるにもかかわらず、他国に原発を売っていく感覚は、私にはどうしても解せないものがあります。唯一の被爆国である日本が、平和利用として用いたはずの原発も、人間の手では扱いきれない、処理しきれない課題として突きつけられているわけです。
 この問題に日本が正面切って取り組んでいくことこそ、今世界に原発があるなかで、今後のエネルギー問題にイニシアティブをとっていくことになるのではないか。その視点に立つことがとても大事だと思います。それは非現実的だと言う方もいますが、原発の処理ができないのがまさに現実そのものなのです。その現実を私たちは実感していかなければならないと思います。
 私たちは、創設者が1960年代から危惧されていた未来を今生き、残念ながらその危惧通りになっているように思います。
 しかし創設者は皆が共に生き合える原理として野村生涯教育を遺してくださいました。そして私たちは皆、足もとで幸せをいただいています。それは並大抵の努力で得たものではないと思います。先ほど皆さんからの新年の抱負の中でどなたかが話されたように、人のせいにしている間は自分が苦しかった、でも自分に原因を見て、自分の中の他を受け入れられないもの、調和がとれないもの、そうした自己を知れば知るほど、自分がいかに人に許され、支えられているかが見えてくるし、世界が広がっていく。それは皆さんが経験されてきたことだと思うのです。
 そのように視点が変わることは、方向性がまったく変わっているということなのです。他だけを批判しない。他者のことは気になるし、言ってもいいのですが、原因を他にだけ見るのではなく、自分自身に深く見ていく、その姿勢そのものが、野村生涯教育が教えていることだと思います。
 私たちは、社会のこと、世界のことを心配し、どういう時代を生きているかに関心を持つと同時に、足もとの夫婦、親子、仲間、そうした関係での不調和を世界の縮小として捉えていく。家庭における夫婦、親子の関係こそが社会の基礎単位であるわけですから、そこでの自分の見方を転換し、相手が悪い、相手が私を幸せにしてくれないという見方から、自らの中に幸せになれない原因を見ていく。そして他者の立場からものが見られない、自分しかない自分を知り、欲望からの脱却をはかり、身近な人の立場を思いやる。そうした開発をしていくなかに温かな家庭が生まれ、温かな人間が生まれるはずです。もちろんそれは容易なことではありません。喧嘩をしたり、相手も自分も傷ついたりしながら、でもそういうなかで自分が見えていったとき、人から許されていることを知り、どれほど周りに支えられているかがわかってきて、感謝ができるようになる。
 それにはまず対話をしていくことだと思います。それ以外に相手を理解し、自分を理解してもらうことはあり得ないのです。その対話を個人レベルでも、国レベルでも、どんなに難しい課題であってもしていく。対話をしようとする、その姿勢からしか次の調和は生まれないと思います。国や世界の動向を思えば思うほど、私たちはやはり自分自身の在り様を見つめていきたいと思います。
 創設者が日本のこれからの課題として言われていたのは「グローバル意識」ということだったと思います。それは島国という地理的条件、そしてほぼ単一民族という条件のなかで、阿吽の呼吸で生きられてきたから、あまり言葉を発しなくてもわかり合えてきた。そうした長い歴史が私たちのDNAにはあるから、会話をしていくことには努力が要るのだと思います。使う言葉が同じであれば、それで共感したような錯覚を持ってしまいがちだと思いますが、やはり差異を、差と別を、はっきり見極めていくことが、日本人には課題だと思うわけです。
 ましてこれほど科学文明が劇的に進歩してきたなかで、親と自分と子どもの三世代では育ってきた社会背景がまったく違っていますから、同じ言葉を使っても全然違う概念だったりするわけです。そうしたことを自覚していくこと。
 グローバル意識とは、英語が喋れたり、海外へ出ていったりすることではないのです。互いを認め合い、受け入れ合っていく、それもただ受け入れるだけではなく、納得するまで話し合い、受け入れようとする。そうした姿勢こそが大事なのではないか。それは難しいことではありますが、やはり私たちはそうしたことを課題にしていきたいと思います。
 国の動向に関心を持ち、声をあげていくことは大事なことだと思います。ただ、声をあげていくと同時に、民間だからこそできる役割は何かを私たちは真剣に考えていく。民間だからこそできることを、創設者は先を歩いて示してくださった。そうした役割を果たしていこうとすることこそ、本当の民主主義に近づいていくことだと思います。その庶民としての自覚、庶民としての主体性をこそ、大いに課題にしていきたいと思います。
 来月の第3回生涯教育群馬県大会、そして11月開催予定の第11回生涯教育国際フォーラムには、創設者がより多くの英知を寄せ合う場として生み出された、その意義と価値を改めて確認して臨みたいと思います。
 私たちの日本、地球を大切にしていきたいと思います。時代に関心を持ち、時代を感じられたら、命が今、ほんとうに危機にあることを思うと思います。命の危機が今、私たちに迫まっている。そのうえでなお経済価値を優先するのか? そんなはずはないと思います。人間である以上、命の価値こそが経済に優先する、その気持ちが勝っていくはずです。そうした意味で、ほんとうに危機的な状況にならないように、私たちは今何がもっとも大事なのかを改めて今年一年を通して考え、自分のやるべきことを自分の立ち位置でやっていく。そして自分たちが足もとで意識、価値観を転換させていただいていることに誇りを持って、それを社会に伝えていきたいと思います。
(1月8日、新年初顔合わせの挨拶から)
 
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