年頭にあたって |
理事長 金子 由美子 |
明けましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
今年のお正月は、日本海側は特に大変な大雪に見舞われましたが、世界的にも異常気象の影響がさまざまな形で出ているようです。今も強い寒気が日本を覆っているようですが、そうしたなかにもきっと大きな示唆があるのだろうと思いながら、今日を迎えさせていただきました。
昨年は、いろいろな節目としての行事がありました。機関紙が300号を迎えたことも大きな節目だったと思いますし、第10回記念生涯教育国際フォーラムは、センターにとってほんとうに大きな節目の行事でした。また、『野村生涯教育原論』のブルガリア語版出版や、次世代が初めて著書を出版したことも、考えてみますと、やはり大きなことであったのだと思います。
特に国際フォーラムが10回を数えたことの重みを、私は終わってから改めて感じました。
フォーラムを終えて帰国し、11月、12月と、私は三回講義に立たせていただきましたが、最後の講義が終わった直後から声がおかしくなって、その次の週はまったく声が出ない状態になりました。でも、お陰さまで体の方は動かせたものですから、年末にはまた、息子の野球の合宿に予定通り行くことができました。しかし暮れの31日、夜の9時頃から具合が悪くなってきて、「これは横にならないともたないな」と思い、年越しの家族の挨拶はしたいと思ったのですが、やはり起きていられなくて一旦休んだのです。そうしましたら、しばらくして不思議とパッと目が覚め、テレビの前に行ったら0時2分前でした。それで0時になってから家族との挨拶ができたわけなのですが、そのとき、何か感覚として2010年に具合の悪さを置いてきた、という感じがしたのです。そして同時に、国際フォーラム10回、その積み重ねは、やはり重かったのだ、ということをつくづく思ったわけです。
2010年という年を一つの条件にして、私が通らせていただいたのは野村生涯教育が旨としてきた「知と行の一致」、つまり論の血肉化、人格化、生活の教育化、そうしたことを結果的に私は全身で試みさせていただいてきたのだと、その年末のひと時を通して思ったことでした。それがこのセンターの歴史だから、ゆえにそれを、身をもって通らせていただいたのだと。
このことを通して、第10回記念国際フォーラムの意義を、出発から回を重ねた結果が第10回であったことと同時に、それはまた次へ向かう出発を意味する10回でもあったのだと、そうしたことを感じ取らせていただきました。
正直に言って、今回のフォーラムでの海外からの参加者の反応は、思った以上のものでした。そして、世界のベースがこんなにも一つになっていたのか、と感じました。
エジプトのヒシャム・バドル大使が基調講演の後で、私が病気を条件に、時代との関係の中で自己認識し、自己成長を図り、人間復活に至ったことをお話ししたことに対して「論だけでなく、それをどう血肉化したかを、あなたの言葉で話されたことがとても良かった」と感想を言ってくださいました。
それを聞かせていただいたとき、科学文明を発達させてきた西洋的思考、西洋の哲理が行き詰まっていることを世界の心ある方たちはもう自明のこととして感じているのだ、その上で「では、どうすればいいのか」を、具体的にセンターに求めてきているのだ、ということを目の当たりにした感がありました。
創設者は終始、原論を通して「理想と現実」ということを教えてくださっています。「理想」と「現実」というこの二つを、私たちは相容れない言葉として、対称的に受け止めてきたと思います。
しかし、「現実」とは過去から現在までのプロセスの上に成り立った結果であり、「理想」とは現在から未来にかけての方向性なのだ、過去・現在・未来を生きる人間が、歩き続ける道の上に共に実現する現象なのだ、ということを、創設者はずっと私たちに言ってきてくださいました。
ですから「現実」は人間が創り出したものであり、「理想」もまた人間が創り出すものなのです。
私たちは往々にして、「それが現実だから仕方がない」とか、「それは理想論だ」などと言って、多くのことを諦めています。
しかし、創設者の歩んだ道は、論の構築と共に、その論を実践化し、実証する努力の積み重ねであったのであり、「主婦と国際会議」という、対称的位置づけにあったものを近づけたのが、この30年来の国際フォーラム開催10回という積み重ねであったわけです。「理想」だと思われていたものを、「現実」に近づけた歴史だったのだということを改めて思います。
それは、子どもたちの未来を思う、そのひたすらな思い、動機が、「理想」であったかも知れない、肩書を外して人間同士として語り合う場≠生み出し、一つの共有するベースに立って世界を考え、話し合い、心を寄せ合わせる、そのことを可能にしたのだと思うわけです。
しかしその一方、私たち世代、高度経済成長期に生まれ育った世代が、今、日本においても世界においても、中枢を担う世代になってきていますが、その私たち世代は、西欧に範を求める形で進んできた教育、そうした教育観で育ってきた世代です。高度経済成長期に生まれ育った私たちは、一般的には物が豊かになることが、未来がバラ色になることと同義語だと思って子ども時代から過ごしてきたと思います。ですから、高度経済成長に対しても、あまり負の要素を感じてはいなかったのではないかと思うのです。
私たち世代だけでなく、前世代も同様であったと思いますし、社会全体がそうした流れのなかにあったと思います。幼少期からそうした影響を受けたことは「三つ子の魂百まで」と言うように、非常に大きなことだと思うのです。
私たち世代は中学時代に偏差値というものが導入され、それで計られるようになっていきましたし、勉強ができれば人間として優秀なのだと思いがちになっていたように思います。ある意味でいわゆるエリートは、つまり勉強ができる人は、それだけで何も言われない、という風潮になってきていたと思います。ですから、私たち世代の次の世代のエリートたちは、概してひ弱になっていることを社会現象のなかでよく耳にします。
20世紀初頭から高度経済成長時代という流れのなかで日本の私たちは育ち、大人になっている。そして今、アジアの国々が同様の経験を歩もうとしている、と思うわけです。
昨年来の朝鮮半島の緊張は、いまだに解けません。そして成長する中国、インドなどの新興国は軍拡を進め、ナショナリズムが高まり、主権、領土の主張を強めているという状況にあります。
私たちはそうした国々に危機的な目を向けていると思います。しかし、それはかつて日本が、そうした目で世界から見られていたことを意味するのではないか、そのことを思い出さなければいけないのではないか、と思うのです。先を歩いた者として日本が今できることを、考えなければならないのではないかと思います。今、アジアという地域が世界にとって大きな位置づけを持っているなかで、日本は一体どうあったらよいのかを考えなければならないところにいると思います。
現代の中枢を担う私たちを育てた、既存の教育が意味するもの、そして意味したものとは一体何か、を考えたとき、結果的にその教育は、自然との繋がり、人間との繋がりを切る方向へと導いていたのではないかと思います。
つまり、私たちは便利さ、効率、合理性といったものを追求してきましたが、そうしたものは科学文明がもたらしたものであり、そのもう一方で科学文明は、自然との関係を遠くにし、人間同士の関係を疎遠にし、そしてスピード化を生み出しました。しかし、自然の一物である人間のスピードには、どんどん合わなくなってきています。
今、日本の社会を見て、政治でも経済でも、各界各層で中枢を担っているそのように育ってきた私たち世代がどうあったらよいのか、ほんとうにその価値観が問われるし、問われていかなければならないことを思います。
そして、これだけのグローバル化のなかで、全世界の人たちが同様の価値観を持っていると思いますし、世界が共有するこの科学文明の下の価値観が問われていることを思うわけです。
私たち日本人は、西洋に範を求めた教育観で育ってきたと申しましたが、それでも日本人の体質となっているものがあるのだということを、新聞の記事を読んで思いました。皆さん、「クールジャパン」という言葉をご存知ですか? 私も、今日本のポップカルチャー(大衆文化)が注目を浴びていることは聞いていましたが、この言葉そのものはよく知らなかったのです。
これは「カッコイイ日本」という意味だそうで、日本の大衆文化を、世界は今こう呼んでいるそうです。漫画、アニメ、ゲーム、音楽、映画、ファッションなどが注目を集め、「マンガ」とか「オタク」といった言葉は、世界共通語だそうです。それで、日本の大衆文化を学ぼうと来日する外国人留学生が数多くいるのだそうです。
そして、その新聞記事のなかで、中国でアニメを勉強している人がこんなことを言っています。「日本人の細やかな性格や生活習慣を知らないと実力が身につきません」と。これはアニメのことですが、登場人物にどんな個性を与えるか、物語をどんな具合に運ぶか、いくら表現技術が巧みでも、そこに魂を吹き込む力を養うには、日本留学は不可欠だと言います。同じように考える留学生は多いそうで、まるで日本人そのものが教科書のような存在なのだそうです。
日本のそうした文化が、なぜ政治や宗教、民族や慣習等が違う海外で脚光を浴びているのか。この新聞記事では、貧しさを背景に生み出された日本文化ゆえの、広く大衆の心を捉えようと絞り出した知恵なのだと、そして自然とどう共生し、異質とどう共存するか、グローバル化の荒波は厳しい問いを世界に突きつけているが、それに人々の支え合いの精神で立ち向おうとする営みが日本の大衆文化の本質ではないか、そのように分析して書かれてあったのです。
創設者は、私たちにこのことをずっと言い続けてきてくださいました。ポップカルチャーという、いま表に出ている文化の背後にある日本の精神性というもの、私たちの若かった頃は、茶道、華道、書道、武道といった伝統文化、そうしたものの背後にある精神性を私たちに言い続けてくださいました。
私たちからすると、ポップカルチャーというとちょっと違和感はあるのですが、こうした記事を読むと、やはり若い世代のなかにも、無自覚であっても確実に、日本の精神性というものがその背後にあるのだと、つくづく思ったわけです。
しかし日本の大人たちは、敗戦を境に時代の流れのなかでそうした精神性を捨ててきた。無価値とさえ思ってきたわけです。それを創設者が「どんなに価値あるものか」と私たちに言い続けてきてくださって、今、私たちはここに集っているわけです。
そうした日本の精神性に今、世界から脚光が当たっているわけです。
でも、ほんとうに日本人は無自覚ですね。私はそのことを、フォーラムからの帰途、フォーラムに参加したセンターの方たちに感じたのです。
先ほど申し上げたように、今度のフォーラムでは予想以上に、センターがこんなにも注目されているのかと感じた割には、参加している私たちは、自分たちが与えているもの、その精神に対してあまりにも無自覚で、学んでいても、海外の人の反応が示すほどにはその価値に気づいていない。そのことを改めて、私たちの認識に上らせなければいけないと思います。
それは、日本人自身が科学的合理主義のなかで捨て去ってきたものがあるから、持っていながらその体質に気づいていない、そうしたもったいない≠アとを私たちはしているのだと思います。
もともと日本人は地理的条件によって、自然の一物として、自然との一体感のなかに生きてきたことが感じられる、そうした体質を持っています。しかし、既存の合理的な教育観は、自然と切り離される方向への志向を持ってきたわけです。
自然の秩序、法則自体が、不合理なものを含んでいると思うのです。ですから、既存の教育の概念からすると受け入れ難いものもあるかも知れない。受け入れ難いものがあったから、皆さんも抵抗を試みてきたでしょうし、「なんでそんなことをしなければならないんだ」とか、「なんでそんなことを言われなければならないんだ」と思うこともあったと思うのです。
しかし、自然の摂理そのものが非合理を含むわけです。で、そうしたことが忘れ去られて、合理主義の方向へばかり行こうとしていたなかに、今行き詰まりを呈している世界に対して、自然の秩序、法則に則って生きようとしたとき、それは現代人にとって難しいし、非合理だし、面倒くさいかもしれないのです。
でも、自然界は繋がっているから、繋がることで安定するわけです。
自分が行き詰まったとき、繋がりがどんなに大事か、聞いてもらえることがどんなにありがたいか、それに気づいた方も多いと思いますが、創設者は「こうしなければいけない」とは教えていない、「自然界が繋がっているから、だから繋がっていくことで調和になる、だから安定する」と教えてくださってきたのです。
しかし、今の社会の方向性のなかで、個人主義が発達しているなかで、繋がろうとすること自体を、しがらみとして、面倒くさいこととして、私たちは受け止めてきたのだと思うのです。
しかし、今早急に求められるのは、分析や解釈の次元から、知ったことを血肉化、人格化していくこと、その生活の教育化、人間づくりであることを思うわけです。
そのことを私たちは、もうすでにしてきています。それをまた次代に伝えていただきたいと思います。合理主義や既存の教育観とはある意味で真反対の方向に行くのだから、つらいはずです。しかしそれは、自分のなかにある不調和を生むものを修正する苦しさだと思うのです。
創設者が存命中は、私たちはなかなかその意味することがほんとうにはわからなかったと思うのですが、徐々にそのことがわかりつつありますだけに、そこを自覚できるよう、倦まず弛まず、日々の自己成長を課題にして精進していきたいと思います。
新年2011年は卯年ですが、卯年というのは、畏れ、慎んで、お互いに助け合い、みんなで協力してものごとを新しくすることを表す年なのだそうです。
センターもまさに、第1回から第10回の国際フォーラムの積み重ねの成果を踏まえ、そこからまた新たな出発を期して、今年もさまざまな活動を通して、ご一緒に自分づくりをしていきたいと思います。 |
(新年初顔合わせの挨拶から) |
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