年頭にあたって |
明けましておめでとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
平成20年が明けたわけですが、社会的にも世界的にも厳しい状況の中で、こうして皆さまと共に新しい年を迎えられることは、ほんとうに有り難いことだと思います。
センターは、昨年12月1日に「第2回群馬県大会」を成功裡に終了し、19年度最終月の3月22日に「第6回静岡県大会」を開催します。
この二つの県大会の実行委員長が、お二人とも戦後世代であることに、私は大きな意味があると思っています。戦後しか知らない世代、そして飽食の時代に生まれ育つ若者が、ますます増える時代にあって、戦後世代の人が責任を持って県大会を開くことの意味を、私はとても重く受け止めております。
創設者 野村佳子初代理事長は、昭和という時代を、戦前・戦中・戦後と生き抜かれた中から、人間にとって何が一番大事なものなのかを、終始、私たちに問い続けてくださいました。私たちには、その意味合いの深さがなかなかわからなかったにもかかわらず、問い続けてくださったのです。
野村理事長がいらっしゃらなくなった後、私たちの中で徐々にそのことの大事さが実感となり、私たち戦後世代にも、その意味合いの大きさがわかってきたことへの感謝をもって、各地域の戦後世代の人たちが自発してきつつある。そうした意味が、この二つの県大会にはあるのだと思うのです。
現代という時代にあって、私が強く感じることは、“継承する”ということがいかに難しいか、ということです。
平和の意味するものにしても、戦争を経験した方にとっては、それはほんとうに深いものだと思うのですが、野村理事長が私たちに渡そうとしてくださったものは、戦争を経験せずして、その平和の意味の深さをわかること、でした。
「あなたたちを不幸にしたくないから、未来の子どもたちを不幸にしたくないから、平和のうちに平和の意味をわかっていきなさい。そのことをわかるために払う犠牲は、犠牲とは言わない」と、ずっと言い続けてきてくださったと思うのです。それが徐々に、私たちの中で実感になってきました。
しかし、戦後しか知らない世代が、さらにそれに続く“知らない”世代に、そのことの大事さを伝えていくことの大変さ、難しさ、そしてその責任の重大さを、私は強く感じるのです。
昨年の年頭に、かつて日本人の国民性を評して言われた「まじめ」「誠実」「勤勉」といったものが、今、急速に失われつつあるが、それがいかに大事な価値かをお話しさせていただきました。
そうした精神性の持つ価値を、私たちはセンターで教えていただき、それをもって「第9回生涯教育国際フォーラム」を開催したとき、ブルガリアのヨルダン・ボリゾフ君や、パレスチナのライラ・タカシュさんが「皆がいい加減なのだから自分もいい加減でいいと思っていたが、日本の方たちが、私たちに誠実に向き合い、接してくださる姿を見て、自分たちも国に帰って誠実に人と向き合いたいと思うようになった」と語っていたことをお話ししました。
そのように私たちが育てていただいたものをもって世界の方たちと、しかも若い人たちとふれ合ったとき、それは確実に他の国の人たちにも伝わったと思いますし、そこに大きく世界に貢献し得るものがあることを確認することができたと思います。
ところが、昨年の日本社会は一年を象徴する文字が「偽」でした。それはほんとうに悲しむべきことです。日本人はどうなってしまったのだろうと思うほど、悲しいことです。
しかし私は、これを別の角度から見たとき、これまでずっと隠されてきたもの、表に浮上してこなかったものが、私たちがそれを課題にする中で明らかになってきているのではないか。そして、それが自浄作用になっているとも言えるのではないか、と思っています。
そして今年は、パキスタンやケニアをはじめ、世界各国でほんとうに厳しい状況下での幕開けでした。そして、そうした世界情勢もさることながら、私が特に緊張感をもって受け止めたのは、地球温暖化が予想をはるかに上回る速度で進行している、という昨年の分析結果でした。
今年のお正月には、地球環境問題に関するテレビ番組がいくつか放映されたようですし、マスコミもそれを意識して報道しているとは思いますが、これはほんとうに深刻な問題であると思います。
北極海の氷が劇的に消失していっています。30年前の1978年に人工衛星による観測が開始されましたが、その当時と比して3分の1の氷がすでに失われているそうです。そしてその速度が2002年以降、急速に加速している。北極海のすべての氷がなくなる予想は、2、3年前には2100年頃だと言われていたそうですが、現在は2030年頃、つまり20年ぐらい後にはすべてなくなることが予想されているそうです。
北極海は熱循環のセンターのようなもので、暖かい海流が北極海に流れて行って、それが冷やされてまた循環していき、それで地球の気候を安定させている、そうした役割、作用を持っているそうです。その氷がなくなるということは、暖かい海流を冷やすところがなくなり、循環がなくなるわけです。そうすると生態系が変わってくる。それが人間の生存に大きく影響を及ぼす事態になってくる、ということです。
こうした話を聞くと、私たちは自分たちの生存が脅かされていることに、大きな危機感を持ちますよね。しかし今、世界で起こっている事態は、北極海の氷がなくなると海から海への航路がつながる、そうなると、さまざまな国がその底に眠っていると見られる石油やガスといった海底資源の所有権を狙って画策している、ということなのです。多くの科学者が、数十年後には氷河が消え、海面上昇や数千種の動植物が絶滅する深刻な気候、環境変化が現れる、と分析しているにもかかわらず、です。
私たちは、生命を生かす地球が、生かすことができないような状況になろうとしてもなお、まだ自分の所有権を主張しようとしているのです。
こうしたことを聞くと、私たちは「それは国レベルの問題である」と思いがちだと思いますが、しかしこれは“人間の問題”なのです。
私たちが足もとで、仲間同士でどっちが勝つとか負けるとか、どちらが上とか下とか、そうしたことばかりにかまけていて、“今在る”ことに感謝する視点にいかない姿に、それは通ずるものではないかと思います。
ここまで危険に晒されても「まだ大丈夫だ」と思っている危機意識のなさ、それをほんとうに課題にしていきたいと思います。
そして「私が、私が」と自分のことしかない意識、これはますます若い世代の間に広がっています。些細なことが自分の思い通りにいかないだけでイライラして人を刺してしまう、まさに人間崩壊とも言うべき時代にあって、そうした足もとの問題と、地球の生態系がもうどうにも元に戻らなくなってしまうかもしれないという問題は、一直線上にあるものだと思うのです。
「私が、私が」と自分のことしか考えられなくなっていることが、結果的に自分の首を絞めることになっている。
“他者との繋がりの中でしか自分は生きられない”のに、自分しかない。そのことを克服していかない限り、もう人類が生き延びる道はないのではないか、と思います。
しかし、そのように私が考えられるのは、創設者が、大自然の秩序や掟のもとにすべてが生かされていることを、理論的に、そして足もとの生活レベルから実践的に、教え続けてくださったからなのです。
そして『野村生涯教育原論』としてそれを遺してくださった。そのことの大きさを思うわけです。ですから私たちは、知らず知らずのうちにも、足もとの不調和も、実践を通して調和の方向に導いていただいているわけです。
だからこそ、自分だけの幸せはないことを、もっと深い自覚にしていくことを急がなければならない思います。
野村理事長は「世界や人類への最大の貢献は、平和への貢献である」、そして「文化的貢献をもっての世界への貢献を最優先に掲げる」とおっしゃいました。
最近、環境問題の観点から、江戸時代がほぼ完全な循環型社会だったことがよく取り上げられていますね。私もお正月の新聞に石川英輔さんという作家の方が寄稿された記事の中で、江戸時代というのは、現代ではほとんど機械化している動力の99%が人力だったことを知りました。最大産業の農業もすべて人手で行われ、肥料も人間や動物の排泄物を利用していた、こうしたあらゆることを人力で処理する社会というのは高度な熟練と体力が必要である、と。
こうした社会を、私たちは「不便だ」と見がちですね。しかし、その方が書いていらっしゃるのは、人類がホモサピエンスに進化したのが20万年前、現在とまったく同じような肉体になったのはせいぜい3万年前から5万年前で、つまり人間は3万年以上前の設計図でできているわけで、身体にとっては江戸時代の生活水準あたりが便利さの限界だ、とおっしゃっているのです。
そして、江戸時代ほどは徹底していないにしても、昭和30年代までの日本社会は、一人あたりのエネルギー消費が今の5分の1から10分の1程度で、かなり持続可能な循環型に近かった、と。
その頃は、成人病もなかった。今は生活習慣病と言いますが、昨今は子どもにもそれが出てきていますでしょう。要するに、機械文明が発達して、この方がおっしゃるように、便利さの限界を超えた30年代以降から、生活習慣病と言われるものが出てきている。ということは、便利すぎて病気になっている、という側面があるのかなと、この記事を読んで思ったわけです。
そうした歴史をたどってきた日本人の中にもともとある精神性、そのソースとなっているものを、野村理事長は教育原理として遺してくださったわけですし、それを掘り起こすことを私たちにしてきてくださった。
その精神とは、目に見えない、手に取ることもできないものです。
見えるものだけが、結果に繋がるものだけが価値となっている現代に、その見えないものの復活を言い続けてきてくださったこと、それがどれほど至難なことであったか。
私たちは、創設者が私たちの意識に、倦まず、弛まず、諦めずに、問いかけ、叩き続けてくださってきたこと、そのことを自覚し、その自覚を今、ほんとうに深めていかなければならないのだ、と強く思います。
この地球の、人類の存続が、目に見えない、形に表せない精神の復活にかかっていることを思うとき、その自覚を深めることと、多くの方にその価値を繋げ、共有できることを願って、新しい年を皆さんと共に始めたいと思います。
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(1月8日、新年初顔合わせの挨拶から) |
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