年頭にあたって |
明けましておめでとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
今年のお正月は比較的穏やかなお天気に恵まれましたが、休み中、嵐のような暴風雨があったり、雪国では昨年の豪雪と打って変わって雪不足であったりと、全く予測のつかないそうした天候の激変を見るにつけ、そこになにか私たちが今年課題とすべきものを示唆されているようにも感じつつ迎えた新年でした。
昨年は、私たちにとって、いくつかの大きな行事を越えさせていただいた年でした。「野村記念館」と「芝川庵」の開設、長野県大会の開催、そして野村理事長亡き後、初めて開催した国際フォーラムが大成功裡に終えられたことは、ほんとうに意義深いことであったと思います。
今年、センターは創立45周年を迎えますが、45年前には「主婦と国際会議」はまさに対照的関係にあったわけです。そうした中で、創設者野村佳子理事長は、悪化の一途をたどる社会を憂い、未来を心配し、従属している側と見られていた主婦、庶民、女性という立場、東洋という立場、素人という立場から、主体的にイニシアティブをとっていかなければと考え、この教育ボランティア活動を推進していかれました。そうした歴史の積み重ねの上に結実したこの度のフォーラムであったことを、強く感じ取らせていただいたと思います。
そこに結果的に、ユネスコ三役と言われる立場にいらっしゃるお2人の方が出席され、また多くの各国大使が参加されたこと、それはその肩書き云々ではなく、センターの内容を理解された上で、「ぜひ出席したい」ということでのご参加であったことは、まさに従属する側の主体性が生み出したものの価値の大きな証明であったと思います。
また、アラビア語版『原論』の出版により、アラビア語圏の方たちが多くご出席くださり、交流が持たれたことにも、それが日本の民間組織のイニシアティブにおいてなされたことの意義の大きさを、改めて感じさせていただきました。
もう一つ、大きな意義を感じ取らせていただいことは、80歳になられる玉谷益子専務理事が、今回のフォーラムに真っ先に参加を表明されたことです。言ってみれば戦前の世代を代表する専務理事、そして今社会の中堅を担っている私の世代、そしてさらに若い世代の人たちが一堂に会したことが、今回のフォーラムの特徴であり、大きな意義であったと思っております。
そのように、各世代が、各国が、さまざまな背景を持つ人たちが、肩書きを外し、胸襟を開いて話し合う場を継承できたこと、しかもそれが大きな広がりを見せたことは、野村理事長の精神を繋げさせていただけたことの大きな証でもあったと思います。
このような成果を得て、創設者の代で築いてくださった徳を承けて、今後私たちの世代がどうあったらよいのかを考えるとき、特に私たちの世代以降、物事を繋がりの中で考えられなくなってきていること、そうした世代がますます増えていることに、大きな危機を感じざるを得ません。
そうした中で、フォーラムから帰国した直後に、「教育基本法」が改正され、防衛庁が防衛省となり、あまりにもあっけなく国の方向が変わってしまった、という感を持ちました。
私たちはほんとうにこのことを深く考えたのか、充分に話し合うことをしてきたのか、そうした疑問が湧きますし、そうした中で今度は「憲法」改正が今年の争点に挙げられているわけです。
「憲法」の改正、特に「第9条」について、私たちはほんとうに真剣に考えているのだろうか。日本がなぜ「第9条」を持つに至ったか、それを深く考えているのだろうか。
野村理事長が教えてくださったように、日本という国が、島国という地理的条件の中で、近代の一時期を除き、長い間他国との戦争や、侵略を受けるという経験をほとんどしなかった歴史を持つこと。そして世界の中で唯一の「被爆国」であること。そうしたさまざまな条件との出会いの中で日本人の意識、思想が生み出され、その結果、この「憲法」を持つに至った、「不戦の誓い」をしたはずだと思うのです。それは日本という国だからこそ持てた、オリジナルな選択であったはずだと思うわけです。
この「憲法」が「押しつけられたもの」ということがよく言われますが、押しつけられたか否かを問題にするよりも、その内容がどうかということがより大事なことなのではないかと思います。私は、この「不戦の誓い」というものは、日本のアイデンティティに通じる問題であると思っています。
もう一つ、日本のアイデンティティとも言うべき精神を、野村理事長は「忠恕」という言葉で指し示してくださっています。「忠」とは真心、真面目、誠実という意味であり、「恕」とは思いやる、許す、といった意味であると学びました。
私が学生の頃は、世界の日本人の評価としては「勤勉」「真面目」「誠実」「質素」ということがよく言われましたが、最近はそうした日本人評はあまり聞かれなくなっています。それは能力やモノカネの価値ばかりが優先される中で、そうした日本のアイデンティティともいうべきものが捨て去られていっているということだと思います。
しかし、そうした精神がいかに大事かということを、私たちは終始、野村理事長から教えていただいてきました。
そうした精神性がいかに若い人たちを感化させ得るかを、この度のフォーラムでも経験いたしました。
ブルガリアのボグダノフ君、ボリゾフ君という20代の青年と話をしたとき、「今ブルガリアでは、急激な社会の変化による混乱の中で、多くの若者がいい加減な生き方をしている。そういう風潮の中で、みんながいい加減なんだから自分もいい加減でいいと思っていたが、このフォーラムで、皆さんが真実で、誠実に自分たちと接してくださる中で恥ずかしくなった。国に帰っても、たとえ相手がいい加減であろうと、自分は誠実に人間と接していきたい」と話してくれました。
また、パレスチナのライラ・タカシュさんは「7年前、『若者たちの国際フォーラム』に参加するために初めて日本の野村センターを訪れたとき、当時10代半ばであった私の話すことに年配の方々が誠実に耳を傾けてくださった。その姿を通して、私は自己の尊厳と誇りを感じ取ることができた」と語っていました。
日本の精神性がいかに世界に貢献し得るのか、いかに価値があるかを、こうしてフォーラムでも実感することができたわけです。しかし、日本人自身がその価値を価値として気づかずに捨て去ろうとしている。それはまさにアイデンティティの喪失です。
そのアイデンティティの延長線上に「第9条」を持つに至った精神があったはずで、それを深く吟味もせずに捨て去ろうとしていることを、ほんとうに残念に思います。
今、日本では初めて戦後生まれの首相が誕生したわけですが、その戦後世代初の首相は私とほぼ同年代と言っていい世代です。
その世代とはつまり高度経済成長期の前後に生を受けて育った世代です。私もこの学びに出会わなければ、今の社会を支配する価値観にどっぷりと浸かっていたと思いますが、若い頃に病気をしたことを通してこの学びと出会い、能力や効率や成果ではなく、人間そのものに価値があり、人間そのものに尊厳があることに気づかせていただきました。
また、日本人の持つ真面目、誠実といったものがいかに大事な価値かを学び、自分の中にあるそうしたものを、皆さまから価値として認めていただいてきたと思います。そして、そのことを通して、自分自身の中にその価値を価値として見られるようになってきました。
しかし、急速に進む科学文明の中で、世代を問わず、より多くの人たちがその自分の中にある価値に気づかないで捨て去る方向にあるのが、今の日本の姿であるように思うのです。
年頭から、家庭内での不幸な、悲惨な事件が立て続けに起きています。親子、夫婦の間で、兄弟間で、人間ここまで残忍になれるものかと思うほどの事件がありました。
しかし、その事件、その現象の奥にあるのは、自己の人間としての価値を見失い、物や金、効率や成果、そうしたものの価値に押し潰されそうな、抑圧された心の悲鳴ではないか、と思うのです。
個性を重んじる教育の重要性ということが言われますが、自国日本のアイデンティティを確認もせず、歴史的経緯と背景の中で持つに至った平和憲法の真に意味するところを理解することもしないままに、“普通の国”になろうとしている姿と、足もとの家庭や学校で頻発している陰惨で悲惨な事件が示す個々のアイデンティティの喪失、自己の尊厳を喪失している姿は、同一線上にある問題ではないか、と思うのです。
大人たちは、子どもたちに「いのちの尊さ」を言いながら、その一方で、結果的に戦争、すなわち人を殺すことに加担していく方向に道を開くことにもなりかねない「憲法」の改正をしようとしている、その矛盾。
そこに、大きく自己に質していかなければならない課題が、一人ひとりに突きつけられていることを、私たちは認識しなければならないことを思うのです。
私自身、この学びに触れなければ、自己の尊厳に気づくことなく、自己否定をしてきたと思います。だからこそ、私たちはここで学び、いただいてきたものの確認をさらに深めていくことを通して、その価値を社会に伝えていくことを急がなければならないと思います。
その確認を深めるとは、すなわち「未見の我」「意識下の我」を知っていく作業であろうと思います。そのためには野村理事長が「教育は関係概念である」と教えてくださった通り、他者との関わりの中で「自己を知る」努力をしていくことだと思います。より深く自己を知る、そして自己のアイデンティティに目覚め、日本人としてのアイデンティティに目覚めること。
それを足もとの家庭、地域、社会、国、世界との繋がりの中で実践し、いただいてきた「価値」を共有していくことを通して、さらに自己を深められるのだと思います。
今年は、「団塊の世代」の定年、大量定年の初年度ということですし、「憲法」改正も本格的に争点となりそうです。まさに日本にとって、大きな岐路となる年であると思います。
また、今年から来年にかけて主要国で国政選挙が相継ぐということを考えますと、世界的にも大きな岐路に当たる年なのだと思います。
それだけに、この教育原理を学んでいる私たちには大きな責任があるのだと思うのです。その自覚をもって、新たな年を出発したいと思います。
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(1月9日、新年初顔合わせの挨拶から) |
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