FOCUS
熊本地震に思う
  このたびの熊本県熊本地方を震源とする地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、また、被災された皆さまに心からのお見舞いを申し上げます。
 “戦後最大の国難とも言うべき災害”といわれた東日本大震災から5年、私たちは人智を超えた自然の脅威というものに対して、さまざまな対策を考えてきたと思います。
 しかしこのたびの地震も、あまり起きないであろうと思われていた地域で起こったということ、また震度7の激震がたて続けに二度、そして4月末までの半月で千回以上の余震が発生しているという点で、私たち人間の想定を超えていることを今回も目の当たりにしています。
 長く続く余震に、どれだけ不安な毎日を送り、また不自由な生活を余儀なくされていらっしゃるか、一日も早い日常を願って止みません。
 改めて、私たちの住む日本が火山国、地震国であることを自覚しなければなりません。世界の火山の7%が日本にあるのです。島国である日本は、他国と国境を接していないこともあり、19世紀前半までは、対外的な戦いはあまりしてこなかった歴史を持ちます。しかし同時に地理的条件がもたらす風土の恩恵とともに地震や台風をはじめとする自然界からの警鐘を受けてきた、という歴史でもありました。
 科学技術がもたらしたテレビで、地震の様子がリアルに映し出されたとき、私は“地球が生きている”と思いました。私たちは日頃、地球が自転していることは知っていても、“太陽が昇る”という感覚で生きているのではないでしょうか。しかし確かに地球が動いているし、宇宙全体が動いているし、生きているのです。
 5月3日は憲法記念日でした。今夏には参議院選があり、現内閣がこの選挙の争点のひとつとして憲法改正をあげるのではないか、との見方から、憲法を改めて考えるという視点での報道がありました。“日本の国のかたち”が変わろうとしている、という見解に、改めて私たちの住む社会がどう変わってきたのか、を思いました。
 近々の150年を見た時、江戸―明治―大正―昭和―平成の生活ぶりは、驚くほど環境が変化しています。すべてが手作業だった時代から驚くほどのスピードで機械文明をつくりあげた人間。だとすると、地球が止まっている錯覚が、実は地球が動き生きているように、環境が変わったと私たちは見ていますが、実はその環境をつくり出したのは人間だし、その環境の変化によって人間もまた変わってしまったのではないか、と思うのです。
 近代の一時期を除けば世界でも稀にみる平和を維持してきた日本です。その日本をつくってきた精神の貴重な価値が横に追いやられ、筋の通らない形で立憲主義が無視されて、さまざまな法案が不納得なまま通されている。そしてまた、収束もしていない原発がありながら、これだけ頻発する地震がありながら、再稼動を進めてゆく私たちの現実の社会。
 故司馬遼太郎氏は「日本の心」を端的に「忠恕」という言葉で表現しました。意味は「忠」は「まごころ」「まじめ」「誠実」、「恕」は「思いやること」「許すこと」で、これは日本社会を支えた心であり、戦後、日本に過ちなからしめたのもこの「忠恕」であった、と述べています。
 その日本人のアイデンティティとも言うべきこの精神は、人間としてもいかに大事なものか。それがわからなくなっていると思える昨今の企業の不正。また敗戦の痛みから再び平和を希求し続けた戦後70年の貴重さ。この貴重さを本当に捨てていいのか。
 この余震の続く熊本地震から、自然とともに生きてきた民族、日本人がぎりぎりのところで自然界から問われているのではないかと思うのです。

(公財)野村生涯教育センター
理事長 金子由美子
(5月25日発行 『野村生涯教育だより』 No.375 より
 
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